群馬の子どもの実態を報告する基礎報告書>2006-07 7

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III 不登校・登校拒否にかかわって

7 不登校の子どもの居場所・今生塾の子どもたち

金田 倫光(あかぎしぜん学園今生塾)

(1) 今生塾の誕生

 80年代はじめ、校内暴力がおさえこまれたあと、登校拒否が急増してきた。学校に競争と選別と管理の教育が押し寄せてきたからだ。子ども自らが生命力や個性を発揮してのびのび育っていくものでなく、反対に枠にはめられ、おしつぶされていく場が学校になってしまった。 それにもかかわらず、世の中の学校絶対視化、学校信仰の価値観はますます強く、そういう学校に合う子になるように追い立てられた。ひとたび学校に行かない子になると、まるで生きている価値もないだめな人間と烙印を押されるようになった。
 そのような子どもたちの居場所として、1995年に今生塾をつくった。

(2) 不登校になった原因

 今生塾にきた子どもたちは、全員心身ともに傷つき疲れ果てていた。その原因の多くはいじめである。いじめられたのは何か本人に原因があったためではない。少しおとなしかったり、真面目であったり、いやな仲間に入るのをためらったりしただけである。
 いじめは、ある日突然におそってきた。クラスメートに無視される。持ち物が壊されたり隠されたりする。いきなりサンドバッグのようになぐられる。カバンに砂や石がいれられる。それらを担任の教師に訴えても、「いじめられる人にも原因があるのだ」と言って解決してもらえない。親が教師に話しても、「親の育て方が悪いのだ」といって、逆に説教されてしまう。いじめられた子は問題児として扱われてしまう。これでは学校に行けなくなるのも当然であろう。
 不登校になった子は家に閉じこもり、憤懣のはけ口がなく家庭内暴力を起こしたり、自殺を図ったりする子もいる。学校に行けないのは自分が悪いのだと思ってしまい、劣等感が生まれ、人嫌いになり、絶望的になり、気力を失ってしまう。家庭も対応に苦慮し、家族全員が心理的に不安定になってしまう。

(3) 今生塾にきた子

 今生塾にきた子どもたちはすぐ元気になった。
 ペットボトルでロケットをつくった。小屋を作りウサギや鶏を飼い、犬や猫も飼った。基地をつくったり、畑を耕し芋やトウモロコシや野菜なども作った。作文を書き、文集も作った。作品展も開いた。山登り、スキー、旅行も楽しんだ。昼食は自分たちで作るようになった。
 自然の中で伸び伸びと体を動かし、友達をつくり、自己肯定的に生きることができるようになったから子どもは元気になったのだ。不安定さがなくなり、自分を見つめられるようになると、学習に取り組むようになった。美術館に行き、図書館に通い、一つの本をみんなで音読し、教科の学習にも取り組んでいる。

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