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 第84号(全12ページ)からの転載です。

パートナー通信

パートナー通信タイトル
2021年10月/No.84(通算100号)

続コロナ特集「コロナで見えた大切なこと」③
コロナ禍を生きる
~子育て世代の声から~
子どもワクワク食堂実行委員会 委員長 今村井子

 先日、知人と話をしていた時に「いつの時代かわからないけれど、今、この時を歴史の中で振り返ることがあるとしたら、このコロナ禍を生きる子どもたちは「コロナ世代」といわれるのかもしれないね」という話になった。確かに「コロナ世代」と言われるようになるかも、と確信を持って受け止められるほど、このコロナウイルスは世界中で猛威を振るった。人々の関心事が「ウイルスとの戦い」または「共存」がテーマとなり、それが結果的に「大切な人の命を守るため」と、子どもたちの生活そのものを封じ込め、行動を制限させた。たぶん、私も含めてほとんどの大人たちは「今は仕方が無い」と納得するしか無かったのではないだろうか。
 しかし、この「経験」(これまでの日常では当たり前だった経験を奪われた「経験」)が、未来を生きる子どもたちの成長にどのような影響を与えるのか。「子どもの1日は大人の一年に値する」といわれる子どもたちの内面に、どのようなことが起きていたのか?それを紐解く鍵として、子ども食堂に集う保護者の声から考えてみたいと思う。

「コロナにうつるかもしれない」という不安
 子どもたちにとっては「コロナにうつったらどうしよう」という未知のウイルスに対する不安がまず大きかったようだ。子ども自身が「学校に行きたくない」といっているという声も聞いた。ニュースでも連日「感染についての情報」が流れ、「うつらないように」するための予防措置(三密を防ぐ、マスクの着用)など、むしろ子どもにとっては当たり前のスキンシップや活動ができなくなってしまった。

「行くところがなくなってしまった」
 人の動きを止めるため、ステイホームが叫ばれる中、図書館や児童館など、あらゆる公共施設が閉館。学校での突然の休校措置など、子どもたちの行き場が無くなってしまった。保護者からも「家にいてけんかが絶えなくなった」とストレスの行き場が家庭に集中したような声もあった。しかし、一方で「いつも忙しくしていたので、ゆったりと子どもと向き合える時間が持てた」との意見もあった。また、「学校に行くのが嫌だった子にとっては、プレッシャーが減った」との声も聞こえてきた。「行くところがない」ことが、子どもたちそれぞれの日々の暮らし方から、受け止めが真逆となっていることは驚きであったし、その背景には、経済格差の影響もあるのではないかと思った。

「友だちに会いたい」
これは子どもはもちろん、大人(ママたち)からの声でもあった。普段から「ワンオペ育児」と言われるような、育児を母親1人で背負っているママたちにとって、友人と話すことは唯一の気晴らしだったり、心のバランスを取る糧だった。ところがそれもコロナ禍によって奪われ「心の平安」や「日々の子どもとのギリギリの時間」を危うくしたといえないだろうか。コロナになり「とにかく話したい」「少しでいいから子どもを預かってくれないか」との訴えが増加した。子ども食堂が最後の砦となるような、そんな切迫感をもった声が届き、拠点であるワクワクハウスの存在意義を改めて感じながらも、ボランティアで出来る範囲を超える負担が出ることも多く、悩みと責任の狭間に置かれたまま日常をやり過ごしている。


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