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 第84号(全12ページ)からの転載です。

パートナー通信

パートナー通信タイトル
2021年10月/No.84(通算100号)

続コロナ特集「コロナで見えた大切なこと」①
コロナ禍の高校生の声
高校教師・匿名


リモート授業の模索
 「リモート授業は大変です。先生がいないのでどうしてもサボりたくなっちゃいます。それに、赤とか黄色とかのチョークで書かれると板書が見えません」(Kさん)
 緊急事態宣言が出される中、2学期はクラスを半分に分けての分散登校でスタートした。同時にオンラインによる授業が始まった。ICTなるものに縁遠かった私などは、配布されたパソコンの扱いもままならず四苦八苦の日々。授業を受ける生徒の声も様々だ。
 「最初は新鮮で面白かったけど、だんだん飽きてきた。目が疲れてヤバいっす」(M君)1日6時間も画面とにらめっこは確かに目に負担だろう。そうでなくても生徒の多くは毎日何時間もスマホを使用している。
 「いろいろ工夫して面白くしてくれる先生と、ただ授業を流すだけの先生がいて、けっこう差がある気がします」とは勉強熱心なOさんから掃除の時間に聞いた言葉だ。耳が痛い。
 日頃は大人しい生徒も掃除の時間はおしゃべりになる。「俺、リモートのときに先生に指名されて、そんときパソコンのところにいなくて後で注意されたんですけど、そもそもリモートの日って『出席停止』なんでしょ。なんか変じゃないですか」というY君の言葉に対しては返答に困った。

新しい生活様式で見えたこと
 「出席番号で分けられてるので、仲のいい友達といつになっても会えない。早く普通に戻ってほしいよね」と言うAさんのような人もいれば、「私は今の方が楽でいいです。人数が多い教室はストレスなんです」と言うKさんのような人もいる。Kさんは欠席しがちな生徒で、分散での登校が彼女の精神的負担を軽くしているようだ。
 養護教諭によると、分散登校になってから、保健室に来室する生徒が激減しているそうだ。感染状況が改善されれば、1クラス40人での通常授業が再開されるが、リモートでの授業が合っている生徒がいることも忘れてはいけない。
 保健室には様々な生徒の本音が寄せられる。「H先生は授業に熱が入ってくるとマスクを下げて大きな声で話すんです。悪気がないのはわかってるけどちょっと怖い」(Iさん)「生徒には『黙食』なんて言ってるけど、先生たちはおしゃべりしながら食べてるじゃないですか」これは職員室の奥にある食事スペースでの様子を目にしたB君の言葉だ。
 食事中の会話については職員間でも苦情が寄せられることがあり、係職員や教頭が時々注意を喚起している。昼休みくらいはちょっと気を抜いて、近くにいる人とおしゃべりしながら楽しくお弁当を食べたい、というのは老若男女を問わない至極自然な感情だ。本校でも「感染防止」という水戸黄門の印籠のような名目のもと、昼休みに職員が教室を巡回して「黙食」の指導をしている。ウイルスの特性を考えればある程度やむを得ない指導だとしても、人間本来のあり方からすればずいぶんと酷な生活を生徒に強いているのだということをB君の言葉から再認識させられる。

高校生活の楽しみを諦めない
 コロナ禍によって生徒の学校生活は大きく制限されている。昨年度は修学旅行も中止され、文化祭などの生徒会行事の開催は今もままならない。以下は生徒会役員の声だ。
 「コロナ禍での行事の取り組みは難しいと言われますが、高校時代を何の問題もなく過ごしてきた大人に正しいことを言われても納得いかないのが普通だと思います。少なくとも私もその1人です。コロナの影響で休日に遠出をすることさえ世間的に許されない時代です。もう、行事すらも諦めてる生徒たちも多いけれど、大人の現実的意見と大人にはない生徒の面白い発想力で、安全で楽しく気分転換をできる場を学校で設けたいと思っています」(Sさん)
 私はSさんの言う「気分転換の場」という言葉がとても気になった。通常なら軽い気持ちで使う「気分転換」という言葉が、今の社会や学校を一様に覆っている「気分」を考えたとき、非常に重く響いてくるからだ。
 同じく生徒会役員のFさんは、「コロナの影響で、高校生活を思うように送れないことに誰もが不満を感じていると思います。世間や大人から、先の見えないコロナ終息のために行事や大会を延期、もしくは中止を強いられていることに対して、理解はしても納得している生徒はいないと思いますし、私を含め自粛に対しストレスを持っている人もいると思います」と語った。「理解はしても納得はできない」という彼女の言葉に、思わずうなずいてしまった。
 「この1年半、たくさんの我慢と葛藤があって、明らかに生徒のみんなが不満や弱音を口にすることが多くなっていると思います。『コロナのせいで〇〇ができない』『行事ができなくてつまらない』でも、できないことが増えている今こそ、限りなく不可能に近いことでも何かがしたいし、生徒のみんなが学校に来たいと思えるような学校を作りたいです」こう語ってくれたTさんは、昨年度、生徒会役員として新しい行事を立ち上げた1人だ。「コロナ禍だからできること」を目指してTさんたちが創り上げた生徒会行事はスマホやパソコンを駆使し、コロナ禍を逆手にとって楽しんでしまう全く新しいスタイルの行事で、私などまさに目から鱗の思いだった。デジタルの力を活用しつつ、ユーモアを忘れずにピンチをチャンスに変えていく若者の力を実感した。

「今」を生きる高校生たちと
 「コロナ禍はいずれ、少なくとも数年もすれば収まるだろう」と言う人もいる。そうかもしれない。だが、生徒にとって高校生活は「今」しかない。授業も行事も含めて「今」が彼らの高校生活なのだ。「あと数年待てば・・・」は、Sさんの言う「高校時代を何の問題もなく過ごしてきた大人」の論理だ。多分に「社会=大人」の都合で課された様々な制約の中にあって、今を楽しく生きたいと願う生徒の言葉に――彼らのごく当たり前の要求に――私たちはどう応えたらいいのだろうか。そもそも私たちは彼らの疑問や要求に対する答えを持ち得るのだろうか。 コロナ禍を生きる生徒の言葉は、大人の都合を優先してきた学校や社会の行き詰まりを、図らずもあぶり出している。未知のウイルスとの共存という課題を前にして、私は教壇という高いところから一歩降りて、生徒の言葉に謙虚に耳を傾け、彼らと共に、また――昨年の生徒会行事がそうであったように――彼らの力を借りながら、知恵を出し合ってこれから歩むべき道を探っていくことが大切だと感じている。



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