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 第79号(全16ページ)からの転載です。

パートナー通信

パートナー通信タイトル
2019年10月/No.79(通算95号)

【地域の活動紹介
「子ども食堂フェスタ in 安中」を終えて
ファイティング 今村(今村井子) 

*「考えて、動くことの意味」
 余談だが、息子の高校入学式で聞いた祝辞に、とても響いた言葉があった。「失敗をおそれず、行動することの意味」についてだった。入学する若者にチャレンジ精神を促す、よくある話しといえばそうだが、今の時代、中高年の世代になった自分だからこそかもしれないが、この言葉の重さを身をもって感じている。
 十数年前だったら、何のためらいもなく発していた「意見」や「思い」が、「はて、まてよ。今こういう事をみんなの前でいったら、どう思われるだろうか。私の真意がちゃんと伝わるだろうか、曲解されるのではないか。返って変人扱いされるのではないか」など、無意識に躊躇してしまうことが増えてきたように思う。それが「大人になること」といってしまえばつまらない。むしろ、自分が少しずつ死んでいくような感覚に見舞われることさえある日常になっているように感じている。
 しかし、今回、安中市内三カ所の子ども食堂を中心に「安中市子ども食堂連絡協議会」を立ち上げ、その設立大会として行った「子ども食堂フェスタin安中」を通し、改めて若者と同じく「考えて、動くことの意味」をまさに実感させてもらったと思っている。半年の準備期間を経て、とにかく走って、走って、突き抜けた6ヶ月。それを終えて改めて、反省は多々ありながらも「悩み、考え、動き、実践することで得たことは揺るぎなく」また、「その経験の重み」を再確認している。
 今の時代の空気、「あったことをなかったことに」、「言わない方がいい、目立たないほうがいい」、「みんなと同じで、みんな楽」("みんなちがってみんないい"でなく)、そんな空気が流れる今の時代だ。
 時代の空気を問い直し、新たな視点で「今」を打ち破るのは、若者の特権であり可能性だと思っていたけれど、それは違っていた。年齢に関係なく、私のようなおばちゃんでも「考え、動くこと、失敗を繰り返し、学び、よりよく前へ」いける。そして、何より人生が豊かになる実感を持つ機会を与えてもらった。私にとって、そんな子ども食堂フェスタになった。

*「子ども食堂フェスタ」に託した思い
 子どもたちがあたりまえに幸せを享受できる社会を自分たちの地域でどう作るかは、私たち自身の未来にも関わっていることであり、 そのことを「子ども食堂」という取り組みを通して、多くの人たちと考える機会を作りたいとの思いからフェスタを実施するに至った。そして、「子ども食堂」を通じて子どもの未来を応援する大人たちを増やしたいとの思いもあった。
 一方で、フェスタに向けたスタッフの熱い思いを感じつつも、実際どれくらいの方々がフェスタ当日に集って下さるかは未知数だった。なので、当日を迎えるまではとても不安な日々を過ごしたことは言うまでもない。当日にならないと予測できなことも多く、正直ドキドキした気持ちで当日を迎えることになった。しかし、有り難いことにそんな心配はいらなかった。
 当日は、忙しい中、遠方から駆けつけてくれた子ども食堂さんや居場所作りの団体さんが、スタッフのみなさんと共に盛り上げてくれた。中には、子どもワクワク食堂をはじめた3年前から、いろいろな形で子ども食堂を応援して下さっていた個人や団体のみなさん、県や市の行政の方々、立場や仕事の枠を超えた方々がたくさん参加して下さり、感想を寄せて下さった。その一日のできごとに、これまでのいろいろな思い出が走馬燈のように心をよぎり、思わず胸が熱くなった。
 そして、参加して下さった方の感想には、「子どもたちも大人もみんなが笑顔のフェスタでしたね。それが、とても良かったですね」や、「オペラのステージとトークに思わず涙があふれた」という感想や「映画を見て、また涙が止まらなかった」または「よけいに子ども食堂が貧困のレッテルを貼られないか」と危惧する意見など、様々あった。
 その感想を聞いて改めて思ったことは、来て下さる方々が、いろいろな思いをそれぞれに受け止め、それぞれに持ち帰って下さった機会が作れたのではないかということだった。私たちの思いはさておき、一度思いを届ける機会を作ったと言うことではないか。
 連絡協議会代表の宇佐見さんが「子ども食堂の種をまいたフェスタになった」との感想を述べていたが、私も同じ思いでいる。種をまいた・・・次はいよいよ育てる方へ、ということではないか

*まとめにかえて
 「子ども食堂は、誰ももうける人がいない。」といわれることがある。関わる私たちはボランティア、一円の得もない。お金というものさしでいえばそうだろう。でも、お金でない価値を見いだす場所と空間、人との温かな、緩やかなつながりは子どもだけでなく大人にとってもかけがえのないものだと言えないだろうか。
 だからこそ、爆発的に浸透し、開設が増加の一途をたどっているのだろう。

 個人的なことだが、先月、母が他界し、悲しみに暮れる日々が続いている。母が、この子ども食堂の活動を応援してくれていたのだが、母が私に残し伝えたかったことが、この子ども食堂の活動の中にあるように思えてならない。まだまだ、見つけられていないこともあるのだけれど。大事に、この活動を育んでいきながら、母のことを思い続けたいと思っている。
 教師をしていた頃、理由は思い出せないが、学校か社会情勢の何か?に対し(個人ではない)、朝からチコちゃんのようにぶちまけるように怒っていたことがあった。その時に「N先生は、怒っている方がエネルギッシュで元気だね」といわれたことがあった。そして、先日、協議会代表の宇佐見さんがスタッフのニックネームを付けていて、私はなんと「ファイティング今村」のニックネームを頂いた。この偶然、思わず吹き出した。どうやら私には、空気を読むどころか、怒りを表す方が性に合っているらしい。
 ようやく私も自分らしさを受け入れ、 そんな自分とつきあえるようになったのかもしれない。 きっと、母はそんな私を見て「井子ったら、まったく。女の子はもっと笑顔でいなきゃ」といつものように笑って私をたしなめるのだろう。




フォト・レポート
子ども食堂フェスタin安中


ブースの賑わい


子どもの権利カルタ、子どもの権利条約の歴史 &オリジナル子どもカルタ

(この「フォト・レポート」は、印刷・配付したパートナー通信では、最終ページに掲載したものです。)


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