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20072017

I 「条約」「最終所見・勧告」の普及

1 国連子どもの権利委員会「第3回最終所見・勧告」を読む

(4)子どもは「大人の健全育成の対象」ではなく「権利の主体として生きる」存在

大浦 暁生  

 このシリーズの第1回は〔調整〕と〔国内行動計画〕、第2回は〔資源の配分〕、第3回は〔『新自由主義社会日本における子ども期の剥奪』〕でしたが、その根底にある考え方は、子どもを「大人の健全育成の対象」ではなく、「権利の主体として生きる」存在と認めて尊重することでした。今回はその問題にいっそう基本的に触れるテーマをめぐる国連の「所見・勧告」を紹介します。<一般原則>の大綱で、主として〔差別の禁止〕〔子どもの最善の利益〕〔子どもの意見の尊重〕の3点です。
 (注:文中の<33>、<34>などは「最終所見」のパラグラフの番号です。)

【差別の禁止】

パラグラフ34:本委員会(国連子どもの権利委員会)は、締約国政府(日本政府)に以下のことを勧告する。
  1.  (a) 包括的な反差別法を制定することおよび、いかなる理由に基づくものであれ子どもを差別するあらゆる法規を廃止すること。
  2.  (b) 差別的慣行、特に、女の子、民族的少数者に属する子ども、日本国籍を持たない子ども、および障害を持つ子どもに対する差別的慣行を減少させ、かつ防止するために、意識向上キャンペーンおよび人権教育を含む、必要とされる措置を取ること。

 法をしっかりと整備し、人権意識を高める社会教育なども行って、差別的慣行をなくすよう努力せよというのです。<34>の勧告の根拠となった懸念事項は<33>に示されていますが、少数民族の子どもや日本国籍のない子、移民労働者や難民の子、障害児などへの社会的差別を指摘するとともに、法定相続で婚外子が婚内子と同じ権利を享受していないことも懸念しています。
 また、「本委員会は、男女平等の促進を定めていた教育基本法5条が廃止されたことに対する女性差別撤廃委員会の懸念を重ねて表明する」と明記して、女の子への差別意識が男女平等を無視する考えと関連していることを示したのは、注目に値します。

【子どもの最善の利益】


パラグラフ38:本委員会は、すべての法規、司法的および行政的決定、ならびに、子どもにインパクトを与えるプロジェクト、計画およびサービスにおいて、子どもの最善の利益原則が実施され、遵守されることを確保するための努力を継続し、かつ強化することを締約国政府に勧告する。

 この勧告の根拠となった<37>の懸念を見ると、日本政府は児童福祉法があると自己弁護をしましたが、国連は「この法律には、子どもの最善の利益の第一義性が適切に反映されていない」と、これを退けています。そして、あらゆる場合にすべての子どもの最善の利益を考慮するよう勧告するのです。「子どもの最善の利益」は、ご存じのように、子どもの権利条約第3条で保障されている基本的な権利です。


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パラグラフ39:本委員会は、子どものケアまたは保護に責任を有する施設の多数が、特に、そのスタッフの数および適格性、ならびに、監視およびサービスの質に関して、適切な基準に適合していないとの報告に留意し、懸念する。

 ここで言う「施設」とは、学校、保育園、児童相談所など、子どもに関わるあらゆる機関を指します。そのスタッフやサービスが質・量ともに不足しているという報告は、おそらく私たち市民サイドからのものでしょう。<39>の懸念を受け、国連は<40>の勧告で、公立も私立も「提供するサービスの質および量に関する基準を開発し、かつ規定するための効果的な措置を取る」、その「基準を厳格に遵守させる」ように言います。
 つづく<41>の懸念と<42>の勧告で、〔生命、生存および発達に関する権利〕として、子どもの自殺の問題が取り上げられていることに注目しましょう。自殺と自殺未遂の「危険要因に関する研究が欠如していること」が懸念され、「予防的措置を実施する」「心理相談サービスを提供する」「困難な状況にある子どもにさらなるストレスを与えない」ことなどが勧告されました。


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【子どもの意見の尊重】


パラグラフ43:本委員会は、司法的および行政的手続、学校、児童養護施設、ならびに家庭において子どもの意見が考慮されているとの締約国政府からの情報に留意するが、公的な規則が年齢を高く設定していること、児童相談所を含む子ども福祉サービスにおいて子どもの意見がほとんど考慮されていないこと、学校において子どもの意見が考慮される領域が限定されていること、ならびに政策策定過程において子どもおよびその意見が省みられることはめったに無いことを、引き続き懸念する。本委員会は、子どもを、権利を持つ人間として尊重しない伝統的な見方が、子どもの意見に対する考慮を著しく制約していることを懸念する。

 ここでも日本政府の言い分は真っ向から否定されています。「公的な規則が年齢を高く設定している」というのは、訳者(福田雅章・世取山洋介両氏)が注で述べている、「例えば、家事審判規則54条は、子どもが<満15歳以上>である場合に限って、子どもの監護に関する決定を行う前に子どもから意見を聴取すべきことを家庭裁判所に義務付けているに過ぎない」ような実情なのです。たしかに、学校で子どもの意見が考慮される範囲は限られ、政策策定過程で子どもの意見が省みられることなどまずありません。
 しかし、国連が何よりも批判するのは、権利を持つ主体的人格として子どもを尊重することに欠ける、日本社会の一部(いやかなりの部分)に残る古い体質でしょう。「おんなこどもは黙っとれ!」というのでしょうか。これは、1947教育基本法で「男女平等」を掲げた第5条が2006年の改定で廃止されたこととも関連します。この問題に対する私たち一人一人の姿勢が問われているとも言えるのです。
 「子どもの意見表明権」は、子どもの権利条約第12条で保障されている、条約の根幹をなすきわめて重要な権利です。国連が<44>で、「すべての場面において、子どもに影響を与えるすべての事柄について、子どもがその意見を十分に表明する権利を促進するための措置を強化することを締約国政府に勧告する」のも当然でしょう。 。

(群馬子どもの権利委員会会報『パートナー通信』No.45
(2011年4月)
より)
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